今回は桐生に織物の技術を伝えたと言われるお姫様の話です。
平安時代の初期、桓武天皇の時代に山田郡の仁田山(今の川内地区)に住んでいたと言われている農家の青年が、宮廷の掃除係として都へ行きますが、宮中で出会った姫に恋い焦がれ、その気持ちを和歌にしました。
最初は東国から来た身分の低い男を相手にしていなかった姫も、彼の才能に次第にひかれてゆきます。
やがて天皇の前でも見事な和歌を詠み、許しを得て姫を連れて帰ることになりました。
この時、姫が身に着けていた養蚕、製糸、機織りの技を里人に教えたのが桐生織の発祥と言われています。
ちなみに伝承では姫がこの付近の山を見て「京の小倉山に似ている」と言ったので、今の川内地区は仁田山と呼ばれるようになり、峠は小倉峠と呼ばれたとなっています。
さてこの白滝姫の伝承は他の地域の山田という地名の場所にも複数残っています。
おそらくこの伝承を聞いた全国数か所の山田村の人々が、きっと「おらが村の話にちげえねえ」と思って子孫に伝えたか、「うちこそ伝承の地」といった白滝姫誘致運動を繰り広げたかのどちらかだと思われますが、今となってはそれぞれに「伝説として残っている」という事実以外に確証はありません。
しかしながら、白滝姫が嫁いだ地「山田」とは桐生の川内(旧山田郡)であった可能性が非常に高いと個人的には考えます。 理由は川内に白瀧神社があり、亡くなった後で石の下に埋めたと伝わる「降臨石」と呼ばれる石も境内に存在しているからです。
神社に祀られるというと何やら神話めいていますが、昔の人は現代人が考える以上に亡くなった人の魂を恐れ敬う気持ちが強く、実在したからこそ大切に、そして祟らないようにそこに祀られている可能性が非常に高いのです。
尚それぞれの地域の伝承における恋愛のストーリーは大体同じですが、白滝姫が機織りを伝えたという話があるのは桐生だけです。
地元の人は機織りを伝えてくれた恩人として白滝姫を大切に祀ってきたのです。
またこの降臨石には、七夕の日に白滝姫が天から降りてきて、耳を当てると機織の音が聞こえたと伝えられています。
七夕の日に織姫と彦星が出会う織姫伝説ともリンクしている点が興味深いですね。
神社は歴史への扉でもあります。
楽しく遊びながら神社を中心とした日本のすばらしい文化・歴史に触れることができる、こども神社かるたをご紹介します。